天理教の教え

教祖とその教え 2.教え

天理教は、世界中の人間をたすけて陽気ぐらしをさせてやりたいという思召から始まった親神直々の教えである。

親神は最初の啓示において「我は元の神・実の神である」名乗られたように、この世・人間をおつくり下されただけではなく、今もなお、また永遠にその生命を与え、守護される神である。人間にとっては元の親に当たる神であるから、親神と申し上げ、お祈りする時には天理王命ととなえて祈念する。

親神の人間創造の目的は、人間が陽気ぐらしをするのを見て、神も共に楽しみたいというところにあったと聞かされる。しかし心の自由を与えられている人間が、この思召を悟らず、我が身思案にくれているところから、なかなか陽気ぐらしが実現しなかった。

ひながたかんろだいの想像図

この有り様をいじらしく思われた親神は、旬刻限の到来を待って、教祖中山みき様を神のやしろとしてこの世の表に現れ、世界一れつの人間をたすけるたすけ一条の道をおつけ下されたのである。

「この世は神のからだ」といわれるように、親神のお働きはこの世に充満していると申せるが、一方、親神はぢばにお鎮まり下さるとも聞かされる。このぢばは人間宿し込みの元の地点で、現在、その標識としてかんろだいが据えられている。かんろだいはいわゆるご神体や偶像ではなく、それを囲んでかぐらづとめを勤めるものであり、日々の礼拝の対象となるものである。

このかんろだいを中心に神殿が建てられ、四方に礼拝場がある。

ところで陽気ぐらしというのはどんな生活なのだろうか。それは単なる観念や理想ではなく、互いにたすけ合い、喜んで生きてゆく中に与えられる幸せの境地である。これを「人をたすけて我が身たすかる」とも教えられている。自分だけの幸せだけではなく、自分も人もひとしく親神の子供であり、兄弟姉妹であることにめざめることが、陽気ぐらしの様を見せて頂く上で最も大切な点である。

また「人間というものは、身はかりもの、心一つが我がのもの」と教えられるように、私たち人間の身体は自分のものではなく、親神から借りて使わせて頂いているもので、本当に自分のものといえるのは、銘々の心だけである。その心の遣い方によって、幸も不幸も現れてくると考えられる。これを心通りの守護という。

そこで天理教の信仰は、我が身・我が家の利益となることを神に頼むのではなく、親神の望まれるような心遣いをすることを通じて、自他共に喜べるような幸せの境地に近づく信仰である。

その過程に病気や悩みごとも出てくるが、これらは親神の手引きであるから、それによって心の遣い方を改めるならば、かえって早く、また確実に幸せになれると聞かされる。

天理教ではおつとめをする時に、まず「あしきを払うてたすけ給え天理王命」と唱えるが、これは銘々の心の中の悪しきを払うて親神のたすけを願う姿勢を現している。

心の中の悪しきというのはまた、心のほこりともいう。天理教には原罪というようなものは教えられておらず、埃のように目に見えにくい小さな心遣いの間違いを日々に払うことが、たすかる上の根本となる。

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